北京故宮日語導(dǎo)游詞
北京故宮日語導(dǎo)游詞それでは、故宮博物院をご案內(nèi)いたします。
天安門をくぐり、300メートル進(jìn)むと、古い建築群があります。これこそ世界に有名な「故宮博物院」です。故宮は今まですでに600年近くの歴史があります。明代の永楽4年(1406年)に工事にかかり、14年間を費やして永楽18年(1420年)にできあがったのです。主な三大殿は初めのうち奉天殿(ほうてんでん)、華蓋殿(かがいでん)、謹(jǐn)身殿(きんしんでん)と名づけられましたが、清代の嘉靖11年(1562年)皇極殿(こうきょくでん)、中極殿(ちゅうきょくでん)と建極殿(けんきょくでん)と改名されました。
現(xiàn)在の太和(たいわ)、中和(ちゅうわ)、保和(ほうわ)という名は清代の順治年間(1645年)から使われてきたものです。600年に渡る長い歴史の中で故宮は地震や雷による災(zāi)害などで、何度も破壊され、そのつど修復(fù)や立て直しが行われましたが、今もだいたい明代の風(fēng)格をたもっています。14年の歳月と20萬人の労働力によって1420年に完成して以來、最後の皇帝溥儀(ふぎ)まで、明と清の両時代の皇帝24人の居城となり、宮廷が置かれていて、紫禁城とも呼ばれています。紫(むらさき)というのは紫宮(しきゅう)ということですが、紫宮とは天の中央にある星で、天の神のいるところと昔の中國の人は思っていました(実は北極星を指しています)。それで皇帝が自分の宮殿に紫禁城(しきんじょう)と名づけたのも、皇帝は天の神のいるところに生きているという意味なのです!附工弦话悚稳摔膜毪长趣蚪工工胍馕钉扦。
紫禁城の敷地(しきち)面積は712ヘクタール、南北の奧行きは960メートル、東西の幅は750メートルで、周囲は高さ10メートルの城壁で囲まれています。城壁の外側(cè)には幅52メートルの堀があり、俗に「筒子河(トンズホ)」と呼ばれています。つまり筒(つつ)のように丸く一周する堀という意味です。建築面積は16.5萬平方メートル、700あまりの建築物と約9000の部屋があります。これは柱と柱の間を1間(ひとま)と數(shù)えています。我が國では現(xiàn)在完全に保存されている最大の古い建築物です。
故宮は主に「前朝(ぜんちょう)」と「內(nèi)廷(ないてい)」に分かれています。歴代の皇帝が儀式や祝典など対外的な政務(wù)を取り仕切ったところが前朝で、太和殿、中和殿、保和殿の三殿を中心とした公(おおやけ)の場です!竷(nèi)廷」は乾清宮(けんせいきゅう)、交泰殿(こうたいでん)、坤寧宮(こんねいきゅう)及び御花園(ぎょかえん)を中心として両側(cè)に東西六宮などの宮殿が立ち並んでいます。皇帝と皇后、妃、王子(おうじ)たちの日常生活の場所でした。伝統(tǒng)劇の中での「三宮六院」(さんきゅうろくいん)という言葉はこの內(nèi)廷に由來しています。
故宮で開放されている地域は5つの見學(xué)コースに分けられます。それは「中路見學(xué)コース」、「外東路見學(xué)コース」、「東路見學(xué)コース」、「內(nèi)西路見學(xué)コース」、「外西路見學(xué)コース」です。
「中路見學(xué)コース」とは故宮の中軸線に沿って「午門」(ごもん)からずっと「神武門」(じんぶもん)までの見學(xué)コースで、有名な「前三殿(ぜんさんでん)」つまり、前の部分にある太和殿、中和殿、保和殿の3つ宮殿と、「後三宮(ごさんきゅう)」後ろの部分に位置する乾清宮、交泰宮、坤寧宮がこの見學(xué)コースにあります、いずれも當(dāng)時の紫禁城の最も重要で、豊かな歴史文化の意義を持つ建築です、従ってこの「中路見學(xué)コース」は、今日の故宮見學(xué)の中でも主なコースとなっています。
「外東路見學(xué)コース」、「東路見學(xué)コース」、「西路見學(xué)コース」は故宮の中軸線の両側(cè)を歩くコースで、それぞれ「西六宮」、「東六宮」などが見學(xué)できます、これらの建物の中では、當(dāng)時の妃、嬪(ひん)(妃よりも地位の低い宮女)らが生活しており、興味深い數(shù)多くの後宮(こうきゅう)物語がこれらの建物とともに広く伝えられています。
これから見學(xué)しながら少しずつご紹介します。まず一番重要な中路見學(xué)コースです。
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